人それぞれの「当たり前」や「常識」「普通」という基準は、同じではありません。
皆が、子どもだった頃、親が世界の全てであったように、それぞれの「当たり前」「常識」「普通」は、その親の生活や教えに基づいて形成されていきます。
家庭観でいえば、自分の家族が自分の家庭像に、お父さんが父親像、お母さんが母親像となります。
これら、「当たり前」「常識」「普通」という概念の違いは、何かトラブルが起こったときや、結婚生活を始めたとき、子どもが生まれたときなどに表面化します。
自分が普通だと思っていることが相手にとっての普通では無かったとき、子育てについての意見が全く違っていたとき、双方が自分の考えの方が常識的だと考えているとき、どのように解決するのでしょうか?
自分の常識が正しいと信じて疑わず、相手の考えの間違いを指摘し一生懸命に説得することや、果ては親の教育のせいにまでして攻撃をするなどの方法をとれば、夫婦関係は険悪なものとなっていくでしょう。
結婚期間が比較的短い夫婦の離婚は、上記のようなことがきっかけとなっているように思います。
家庭を作っていくということは、
お互いの「当たり前」「常識」「普通」に違いがあることを認めた上で、その違いが浮き彫りになる度ごとに、1つずつ新たな家族の「当たり前」「常識」「普通」を作っていくことなのかもしれません。
結婚した家庭の新たな「当たり前」「常識」「普通」を築いていくことができれば、それが自分達の子どもの「当たり前」「常識」「普通」になるわけです。
夫婦が争ったり逃げたりせず、話し合いで解決していく姿は、子ども達の対人関係の見本にもなります。
「当たり前」「常識」「普通」って何ですか?その基準は誰が決めたのですか?一度内省してみると、夫婦関係改善のヒントが見えてくるかもしれませんね。
元記事/2006.10.26 Thursda/ 阿部マリ