妻が有責でも夫が親権を取るという事が難しいケースが多いですが、裁判に勝利して親権を確保して離婚できた事例を紹介します。
【概要】
妻に男の影がちらつき始めたころから、家事や育児をネグレクトするようになり、段々と家庭が荒れてきました。夫婦仲は険悪になっていき、子どもたちにとっても環境が良くないので、アパートを借りて別居開始しました。
その後、離婚調停、離婚裁判を経て、時間がかかりながらも、裁判での完全勝利。
そして、子どもたち2人の親権も確保できて、現在は子どもたちと3人で平和に過ごしております。
阿部先生には長い期間大変お世話になりました。
弁護士と協力して離婚をすすめるだけでなく、思春期にこのような家庭環境となったため、子どもたちの気持ちをどのように考え、接して行けばよいかということや、子どもたちのためにも元妻を断ち切ることはできないので、元妻とはどのように関係すればよいかなど、とても大切なことを、多くの経験をベースにとても親身になってアドバイス頂けました。
大変苦しい時期を乗り越えることが出来たのも阿部先生のお陰であり、大変感謝しております。
【妻の不貞発覚〜家庭内別居】
結婚してから十数年、子どもたちが小学生の時に、妻の様子が変わってきました。
職場の同僚と不貞をしていたようで、離婚を要求されるようになりました。
離婚の話し合いは平行線であり、妻は親権を主張し、家から出ていかないと言い、一方で妻は、家事や育児もネグレクトするようになり、顔を合わせれば口論となる状況でした。
さらに、妻は高額な香水など浪費をしていたり、帰りが夜遅くなることが増えました。
妻との関係がどんどん険悪になり、結局、家庭内別居をするようになりました。
元々、妻がほとんどの家事や育児をやっており、私は仕事中心だったため家事育児の経験は少なかったのですが、食事や洗濯、学校のことなども、段々とやれるようにしました。
ここで、重要だったことは、妻に怒りの気持ちをぶつけても上手くいかないということです。
時間がかかりながらも、私が自分で家事育児を行うようにシフトして行きました。
一番大切なのは子どもたちの気持ちです。
大変ではありますが、私の方が日ごろの食事の準備や学校行事など対応するようになったことで、子どもたちとの信頼関係を築くことが出来てきました。
特に、思春期に差し掛かるような子どもたちの親権は、子どもたちの意思が重要でした。
妻は私が家事や育児が出来っこないだろうという思惑であり、強気でいたと思います。
このため、離婚すれば妻が親権者となり、養育費も貰えるだろうという考えだったようです。
しかし、上記の通りその目論見も外れて、妻が家庭内で孤立したような状態になりました。
その結果、妻が不貞を行い離婚したいと言い出してから半年経過したくらいから、妻は離婚しないと言うようになり、発言が変わってきました。
【別居〜離婚裁判】
私は家庭内別居しつつ、仕事をしながら家事育児を続けている状況が続いていました。
妻は離婚はしないと言うようになったが、これまでのことを謝罪することも無く、家事育児にも協力しようという姿勢も見せませんでした。
離婚協議を進めたいものの、妻は親権を譲らず、話し合いは進まない状態でした。
妻は、私をモラハラ夫に仕立て上げようと、スマホで録音しながら、挑発的なことを言うようになったり、警察には私が暴力をふるったと虚偽の通報をするなど、結婚を継続することが困難な状況になっていきました。
妻は想定外に、私が家事育児に力を入れ、子どもたちの信頼を得るようになってきたため、録音などで証拠を作り上げて、私を陥れようとするようになっていました。
仕事しながら、家事育児をしており、加えて妻からは挑発的なことを言われ、録音や録画される事が続き、離婚できるような見通しもなく、大変つらい状況でした。
頭にきて怒鳴って言い返してしまうこともあり、後々それを証拠として出され後悔したこともありました。
ここで、暴力など振るってしまうようならば、妻の思惑通りとなってしまうため、できる限り、挑発には乗らず、冷静にいることが重要でした。
このような日々が続いたところで、結局同居しているままでは、裁判を起こしたとしても離婚は難しいこと、さらに、実質は私が家事育児を行っているが、その事実を裁判では理解してもらうことは難しく、もし離婚となったとしても、親権は母親側になる可能性もあるという事でした。
このため、意を決して、アパートを借りて子どもたち2人を連れて、別居をすることにしました。
自宅を出るという事が大変勇気がいります。
しかし、離婚成立後、財産分与により妻の持ち分の代償金を支払うことで、再び自宅に戻り、子どもたちと住むことはできるため、覚悟を決めて別居しました。
【別居〜離婚調停】
自宅は持ち家であり、住宅ローンを支払っていました。
アパートを借りるとなると、家賃負担も大きく金銭的にはとても大変でした。
また、大きなリスクは、子どもたちの気が変わり、妻が住む自宅に戻ってしまうと、子どもたちを妻が監護することになり、妻側に親権を取られてしまうことになります。
このため、家庭内別居していた状況で子どもたちとの信頼関係をしっかりと築いておいたことがとても重要だったと改めて感じました。
親権を取るためという事ではないですが、学校の先生にはいろいろ相談に乗ってもらい、何かあった時にもすぐに連絡もらえるようにして、子どもたちが安心して学校に行けるようにしたり、子どもたちと一緒にペットを飼い育てたり、大変なことは多いですが、片親となったことが、子どもたちに不安や劣等感を抱かせないように心がけました。
この時、子どもたちは中学生と小学生であり、まだ幼いため、やはり母親も必要な時期です。
心情的には母親に合わせたくはないですが、子どもたちがママに会いたいときには嫌な顔をせずに遊びに行けるようにしておきました。
娘は思春期に差し掛かる時期で、気持ちが不安定な時が度々ありました。
「もうママと暮らすから」と言い、家出して妻宅に行ってしまったこともありました。
でも、翌日には、「なんだか分からないけどイライラして、パパに怒ってしまった。ごめんなさい。」といい、帰ってきてくれました。
この時は、とても心配でしたが、日々愛情をもって接していることは、子どもたちもわかってくれていると感じました。
一方で、妻側は子どもたちにお小遣いやプレゼントなど金品で気を引くようなこともありました。
このため、必要以上に高額な金品を与えることや、父側の批判や裁判の話を子どもにはしないなど、弁護士経由で、面会交流のルールを定めておくということも重要でした。
別居後、離婚調停を起こしましたが、調停員は当方の主張を理解して下さり、妻側に説得を試みてくださいましたが、これまでの通りで妻側は聞く耳を持たず、私のモラハラを主張し、離婚に至ることが出来ませんでした。
【離婚裁判】
離婚調停では決着がつかなかったため、離婚裁判を起こすことにしました。
「不貞」については、決定的な証拠まではないものの、これまでの妻の言動などが、「婚姻を継続しがたい重大な理由」に認められる可能性が高いということでした。
裁判に当たり、ストーリーを整理して、理性的な主張が出来るように心掛けました。
メールや写真などの証拠を残せていたことがとても有効でした。
一方、妻側の過去の行動や言動が場当たり的なことが多く、発言がぶれて、矛盾が生じることが多くなりました。
裁判が進むにつれて、妻側の立場が苦しくなってきたところで、妻は、「私が子どもたちを虐待している」という主張をしてきました。
当然、そんなことはなく、反論したのですが、結局、子どもたちを家庭裁判所に連れていき、調査官調査を行うことになりました。
ちょうどその時期は、娘が反抗期の時期であり、気持ちが不安定だったので、結果がとても心配でした。
しかし、そんな心配は不要でした。
裁判所の調査結果報告では、普段私が子どもたちにご飯を作ってあげてたり、時には一緒に遊んだり、お出かけしていて、元気に過ごしており、子どもたちを虐待などはしてなく、これからも父親と一緒に暮らすと言ってくれているという報告になっており、とても安心できました。
【裁判終了後】
結局、裁判の判決は、私の主張はほぼすべて認められました。
妻側は判決には納得できないところもあったかと思いますが、慰謝料を一部譲歩することで上告せずに自宅も引き渡してもらい、トラブルの完全解決となりました。
調停申し立てから、裁判終了までは、コロナ禍で裁判が停滞したという事もありますが、4年ほどかかりました。
特に子どもたちには長い期間であり、負担があったと思います。
裁判が終わり、元々住んでいた自宅に戻り家族3人で平和に過ごすことができるようになり、私の大きな悩みが解決したからか、子どもたちも落ち着いたようで、今までよりも明るくのびのび育っているように思います。
父親でも親権をあきらめる必要はなく、十分に子育てができる時代になっています。
同じような悩みを持つ方々にとって、私の経験が少しでも解決の手掛かりになればと思います。